最近、新聞やネットで『貢献寿命』って言葉、見かけませんか?
『平均寿命』や『健康寿命』に続く“第3の寿命”が『貢献寿命』という新しいコンセプトだそうです。
私は健康長寿を目指しているので、“第3の寿命”とは何?と興味を持ちました。
なんでも、「何歳になっても誰かの役に立って生きること」が、これからの理想の長寿の形だというのです。
たとえば、自分の行った作業などに対して報酬を受け取ったり、地域の活動への参加や家族・ご近所の手伝いで感謝されるような行動を続けていくことが『貢献寿命』なんだとか。
たしかに、「人の役に立てる」「ありがとうと言ってもらえる」ことが生きがいになる人も多いですし、それで健康や幸福感が高まるなら、それは素敵なことだと思います。
地域によっては鎌倉市のようにこの考えに基づいた取り組みを始めているところもあります。
(参考:公益財団法人長寿科学振興財団『貢献寿命延伸への挑戦!~高齢者が活躍するスマートコミュニティの社会実装~』)
……でも、正直なところ、ちょっと気になる部分もあるんです。
「社会に貢献できる人がえらい」「人とつながらないと不幸になる」
そんなメッセージを良かれと思って押しつけると、人によっては有難迷惑と感じるのではないでしょうか?
あなたの地域でもこの活動が展開されるかもしれないので、『貢献寿命』に感じた懸念をご参考までにお伝えしたいと思います。
目 次
そもそも『貢献寿命』って何?
『貢献寿命』とは、簡単に言えば――
いくつになっても社会とつながり、誰かの役に立ちながら生きる期間のこと。
国や大学、企業などが連携して普及を進めている新しい考え方です。
たとえば、内閣府が発表している資料『貢献寿命延伸への挑戦!~高齢者が活躍するスマートコミュニティの社会実装~』では、目標がこんなふうに説明されています。
「長生きを喜べる長寿社会:何歳になっても社会とつながり、役割を持って生きる、収入を伴う仕事に限らず些細なことでも「ありがとう」と感謝される、そうした自分であり続けられる、そうした高齢期の日々を最期まで歩んでいける社会像を目指す」
つまり、「ただ健康で長く生きるだけじゃなくて、社会の中で役割を持って生きることこそが、これからの高齢者の理想の姿ですよ」と言っているわけですね。
この「貢献」は、別にお金を稼ぐことだけではなく、次のようなものも“貢献”とみなされます:
- 地域の清掃活動やボランティア
- 孫の世話や、ご近所さんの買い物のお手伝い
- 誰かに「ありがとう」と言ってもらえるような、小さな親切
要するに、「社会に対して、何らかのプラスの影響を与えられる時間」を長くしよう、という考え方です。
「貢献寿命」での「貢献」の意味が誤解されやすいと、貢献寿命プロジェクトを推進している人達は感じているようで、次の引用のような説明をしています。
「貢献」という表現は、ボランティアや奉仕といった我が身を捧げるような意味合いで受け止められやすいが、当プロジェクトが提唱しようと考えている意味合いはもう少し広い。“自分の存在や行動が他者や社会に役立っている、プラスのポジティブな影響を与えている“というより広い意味で「貢献」という表現を用いている。英語では、エンゲージメント(engagement)という表現が近しい。
ニッセイ基礎研究所『生涯“貢献”社会の創造を~新たな長寿価値「貢献寿命」の提案』
この説明を見ると、「貢献」というのは、人との関わりを通じて、人からポジティブなフィードバックをもらうことという意味合いのようです。
そして最近では、「あなたは今どれくらい貢献できているのか?」を点数で測る試みも始まっています。
(参照:公益財団法人長寿科学振興財団『貢献度の指標開発と今後の展望』)
貢献度を測る仕組みは、次のように3つの指標をチェックする質問票(アンケート)に答えることで、「あなたの貢献度は〇点です」と示されるようになっています。
指標1: 貢献したい気持ち(意欲)
・「誰かの役に立ちたい」という思いがあるかどうか
・例:人の役に立つことにやりがいを感じる(Yes/No)
指標2: 実際の行動(役割)
・実際に何らかの“貢献”行動をしているかどうか
・例:週に1回は地域活動や家族の手伝いをしている
指標3: 感謝される実感(反応)
・誰かに喜ばれたり感謝された経験があるかどうか
・例:最近「ありがとう」と言われた回数は?
これを使って、
- もっと地域に関わってみましょう
- あなたに合った“貢献のかたち”を見つけましょう
……というように、行動のきっかけづくりにしたいというのが、関係者の狙いのようです。
こうして見ると、『貢献寿命』という考え方にはたしかに前向きな面もあります。
ですが、少しひっかかる人もいるのではないでしょうか?
● 人と関わるのが苦手な人
● ひとりで静かに暮らしたい人
● そっとしておいてほしい人
そういう人たちにまで、“貢献すべき”という空気が押し寄せてしまったら、それは果たして本当に良いことなのでしょうか?
次に、この「貢献=幸せ」という大前提について、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
人と関わりを持って生きることだけが大事なの?
「人の役に立つことが、幸せにつながる」
「社会とつながって、感謝されながら生きるのが理想」──たしかに、それで元気になったり、充実感を感じたりする人がいるのも事実です。
実際、地域の活動に参加して「生きがいが見つかった」「仲間ができてよかった」という話もよく聞きます。
けれど、「その考え方がすべての人に当てはまるとは限らないんじゃないか?」と私は思うのです。
心理学の世界では、人が幸せを感じるためには次の3つの要素が大切だと言われています(※自己決定理論といいます):
この3つのうち、「つながり(関係性)」ばかりが『貢献寿命』では強調されすぎていないか?
というのが、私のモヤモヤの原因です。
「社会と関わって誰かに感謝されてこそ立派な老後」みたいな空気が強まってしまうと、積極的に孤独を選んで暮らしている人や、人づきあいが苦手な人にとっては、「自分はダメな存在なのか…」と落ち込んでしまうかもしれません。
そうなってしまったら、本末転倒な健康増進の施策です。
「貢献寿命」って、誰のため?
ここまで読んで、「いやいや、社会と関わって“ありがとう”と言ってもらえるなら、それはそれでいいことじゃないの?」と思われた方もいるかもしれません。
たしかにそうです。
人の役に立てることは嬉しいし、自分の存在価値を感じるきっかけにもなります。
でも、ここで少し立ち止まって考えてみたいのが、
「その“貢献”って、誰のためのものなんだろう?」ということです。
表向きには、「生きがいの支援」「健康長寿のため」とされています。
けれども、高齢者が仕事をしたりボランティア活動したりする場の提供は、これまでも自治体が一生懸命にしています。
ICTを使ったボランティア活動の紹介や仕事のマッチングサービスの提供、高齢者の学び直しや地域参加への促進、民間企業との協働(例:シルバー人材センターの拡張)… 行われていますよね。
『貢献寿命』も見かけは似たような施策を行うようですが、従来からの施策と違うのは、根底にある狙いだと思います。
従来は「健康維持」「生きがい」「社会参加」などが主眼で、“働きたい高齢者を支える”色合いが強いと思います。
しかし、『貢献寿命』の方は、高齢化社会の進展における社会保障制度の維持や経済成長のために、高齢者の「戦力化」という政策的意図が見えます。
先に紹介しましたように、まだ限定的な実証実験段階ですが、『貢献寿命』を点数で測る“指標”まで作られ、
「もっと社会に関わった方がいいですね」
「あなたの貢献度を上げましょう」
といった流れができつつあります。
ひとりでいることを好む人もいる
最近は、SNSやLINEなど、いろんな人とつながる手段があふれていて、「孤独は悪」「人と交わっていないと寂しい人生」みたいな空気が強くなっている気がします。
また、「孤立」のように『望まない孤独』がもたらす健康などに対する弊害や「孤独死」の問題も確かにあります。
でもその一方で、『積極的な孤独』を選ぶ人もいます。
たとえば、次のように「ソロ活」や「おひとり様」を楽しむ人も増えているのも事実です。
- 自分のペースで好きなことを楽しめる自由さは最高
- 趣味に没頭している時間が一番楽しい
- 他人に気を遣わずにリラックスできる貴重な時間
次のように、ある調査では日本人が「人生において最も優先する事項」として「自分のための時間」が次のように1位となっています:
1位:「自分のための時間」23.6%
2位:「配偶者やパートナーと過ごす時間」20.1%
3位:「子供と過ごす時間」13.8%
(参照:Euromonitor International『日本は人生における「ひとり時間」優先率が世界一、マッチングアプリの使用率も世界最低』https://www.euromonitor.com/press/press-releases/february-2025/japan-alone-time-culture )
さらに最近の研究では、『孤独を楽しめる人ほど、幸福度が高い』という結果も出ています。
たとえば、京都大学の調査によると、
『孤独を前向きにとらえている人(=孤独志向の高い人)』は、ネガティブな感情が少なく、ポジティブな感情や人生への満足度が高い傾向にあったそうです。
(参照:京都大学「一人の時間を楽しむ高齢者は幸福感が高いのか -孤独を好む志向性と主観的幸福感の関連-」)
つまり… 人との関わりだけが幸福のカギじゃない。
自分の世界に集中したり、自然の中で一人静かに過ごす時間を大切にしている人も、十分に満たされ、健康で幸せに暮らしているのです。
幸福の三要素で紹介した、「人とのつながり(関係性)」は薄くても、「自分で決められること(自律性)」や「できる実感(有能性)」から得られる充実感で幸せな人も大勢います。
そんな「静かに生きる人」は社会の役に立たない人でも、社交性のない根暗な人でもなく、中には大きな貢献をしている人もいます。
歴史に名を刻んだ“孤独を愛した偉人たち”の話を次にご紹介したいと思います。
【孤独は悪じゃない】偉業はひとり時間から生まれた
「ひとりでいることは、何もしていないこと」ではありません。
歴史を振り返れば、むしろ、孤独の中から偉大な仕事を成しとげた人がたくさんいることに気づきます。
例を挙げだしたら切りがありませんが、特に高齢になっても印象的な成果を挙げた方々を紹介します。
1.葛飾北斎(1760-1849):70歳を過ぎてから「富嶽三十六景」を完成させました。彼の人生は決して平坦ではなく、周りから見れば貧困で孤独な人生だったかもしれません。しかし、一人で黙々と制作に没頭し、「あと10年、いや5年あれば真の絵描きになれるのに」と90歳で亡くなる直前まで向上心を失いませんでした。
2.ルイーズ・ブルジョワ(1911-2010):彫刻家として60代後半から本格的な評価を受け始め、80代、90代になっても巨大なクモの彫刻「ママン」などの代表作を次々と生み出しました。彼女にとって、アトリエに一人こもり、内面と向き合い続ける時間が、創造の源泉だったのです 。
3.ホセ・サラマーゴ(1922-2010):ポルトガルの作家で、50代で小説家としてデビューし、76歳でノーベル文学賞を受賞。80代後半まで執筆を続けましたが、その創作活動は孤独な執筆環境を好む中で行われました 。
4.伊能忠敬(1745-1818):50歳で隠居した後、天文学と測量学を学び始め、55歳から17年間かけて日本全国を歩いて正確な日本地図を作成するという途方もない偉業を成し遂げました。一人旅の連続でしたが、彼にとって孤独な時間は自身の定めた目標を成し遂げるために、類まれな集中力を発揮するための不可欠なものだったのです。
これらの人々に共通するのは、年齢に関係なく内面の声に従い、孤独を創造の源泉として活用した点です。
彼らは、他者からの「貢献度」という評価を気にすることなく、自律性や有能性を大事にして、自分自身の探求を最優先にした生き方と言えるでしょう。
彼らにとって、静けさとは「不安な状態」ではなく、「集中できる大事な環境」だったのかもしれません。
それなのに、もし「あなたの貢献度は低いですね。もっと人と関わって“ありがとう”をもらいましょう」などと声をかけていたら……?
● 葛飾北斎は浮世絵工房の技術指導者に
● ルイーズ・ブルジョワは彫刻展の客寄せとして駆り出され
● ホセ・サラマーゴはカルチャーセンターの小説・創作講座の講師に
● 伊能忠敬は登山愛好会やハイキングクラブの地図読みインストラクター
──そんな姿、想像できませんよね。
「そりゃあ、偉人は凡人と違うからな」と言うなかれです。
我々の身の回りにも、あらゆる分野で仕事や趣味(アマチュア研究も含む)に関して、技能を極めたり、新しい手法を開発したりすることに無上の喜びを感じ、積極的に孤独を選んで何かに打ち込んでいる人は少なからずいます。
この人達のように暮らしたいと感じる人も多いはずです。
『貢献寿命』の普及法をどう考える?
社会に関わって“ありがとう”と言ってもらえるのは素敵なことで、『貢献寿命』という考え方には、ポジティブな面がたくさんあります。
実際、地域活動やボランティアを通じて、心身ともに元気になったという人もたくさんいます。
問題なのは、その考え方をすべての人に“正解”として広めようとする動きです。
「社会と関わって貢献しなければ」
「貢献度の低い人はより高めないとダメ」
「孤独でいる人は放っておくべきじゃない」
──そんな“べき論”が含まれてしまうと、静かに自分らしく暮らしている人にとっては、生き方の否定になってしまう可能性があります。
前のセクションで述べたような幸福の要素、「自分で決められること(自律性)」「できる実感(有能性)」を何よりも大切にして生きている人は、“他者評価”ではなく“自己充足”を軸にしているのです。
ですから、『貢献寿命』を広めるのであれば、その“普及のしかた”に細心の注意が必要です。
以下のような工夫が欠かせません:
- 測りたい人だけが使える、任意性の徹底
- “貢献”の定義を広げ、「静かに生きること」や「内面的な探求」も尊重する
- 社会と距離を置いて暮らす選択も、正当な生き方として認める
『貢献寿命』は、本来すべての人に優しくあってほしい概念です。
だからこそ、誰にも“押しつけない形”で、そっと差し出されるべきではないでしょうか。
おわりに:自分らしく、静かに生きる自由もまた尊い
『貢献寿命』という言葉には、素敵な響きがあります。
誰かの役に立つこと、人とのつながりを感じること、感謝されること。
それが生きがいや健康につながるという考え方には、希望もあります。
けれど、どんなに良いコンセプトであっても、
すべての人に「これが幸せの形です」と当てはめようとするならば、話は別です。
つながる自由があるなら、つながらない自由もある。
どんな生き方を選ぶかは、他人が決めることではありません。
私たちは、ひとりひとり違う存在です。
貢献したい人も、静かに生きたい人も、自分で選べるようにしたいですね。






























誰かにやらされるより、「自分で選ぶ」ことが幸福感につながる。
「うまくできた」「前より上達した」と感じることが嬉しさになる。
家族や友人、誰かとの温かな関係が安心感や満足につながる。