2月14日、「小田原梅祭り」にサイクリングがてら行ってきました。
令和6年は2月3日(土)から2月29日(木)までの開催で、概要は次のとおりです。
私は曽我梅林の方の梅祭りに行きました。
地図では次の場所です。
引用:オダワラボ 「一度は行きたい梅の里、曽我梅林の歴史【坂口螢火】」
https://odawalab.com/report/soga2.html
● 名前の由来は、曽我兄弟!
曽我梅林の梅は、そのほとんどが「十郎梅」という白梅です。
この梅は、神奈川県農事試験場園芸部で、足柄上郡の在来実生より選抜され、昭和35年に小田原市梅研究会が命名しました。昔から小田原に伝わる「曽我物語」の主人公、曽我兄弟の兄、十郎の名をとって、「十郎梅」と名付けられたとされています。
曽我兄弟は、鎌倉時代に父の仇討ちを果した兄弟として有名です。彼らの仇討ちは、日本三大仇討ちの一つに数えられます。
● 始まりは戦国時代
曽我梅林の歴史は、戦国時代までさかのぼります。
小田原北条氏(後北条氏)が、梅の実を兵糧用にするため植えられたのがはじまりといわれています。江戸時代には小田原藩主の大久保忠真が、梅の栽培を奨励しました。
特にこの地で梅干し産業が栄えた要因は、当時小田原から二宮町にかけて塩田が広がり、食塩が豊富に採れたためです。
また、小田原宿を利用して箱根山を越える旅人が、弁当の傷みを防ぐために梅干しを欲しがったことも、梅干し産業の発展を促したと言われています。
藤沢市の自宅から往復で約60kmのサイクリングでした。
天気は快晴で、気温も前週とは打って変わって最高気温18℃と高くなり、風は微風と最高のサイクリング日和でした。
日焼けを防ぐために、次のフェースカバーを付けて走行しました。
長年使っていますが、口の周りだけでなく、首までぐるっと覆えるので、お勧めです。
次の図は曾我梅林の梅祭り会場のマップです。
駐車場は先ほどのマップにあるようにP1~P5まで全部で五ヵ所あり、P4は2輪車も停められるようなので、P4に駐輪しました(次の写真)。
なお、会場内は自転車も進入禁止で、所定の駐輪場に停める必要があります。
梅祭りの開催中とあって、平日なのに多くの人で賑わっていてびっくりしました。
会場に到着したのは10時半頃でしたが、11時頃には駐車場の入り口に「満車」のサインが出され、駐車場を探す車で渋滞が起こっていました。
梅祭り会場では、飲食店が開かれ、甘酒やおでん、梅ジュース、その場で絞ってくれるオレンジジュースなどが売られていました。
また、特産品である梅干しや梅ワイン、梅ジャムなどが販売されていて、私は梅ジャムをお土産に買いました。
近所の小学校の子供たちによる梅に関する研究結果の発表会が広場で行われていて、子供たちの頑張りに対して沢山の人達が拍手していました。
肝心の梅の開花状況ですが、十郎は散り始めていましたが、南高、杉田は満開、ピンク色の枝垂れは五、六部分咲きでした。
曽我梅林の農道を散策しましたが、どこを見渡しても白梅やところどころに植樹されている淡い紅色の枝垂れ梅が見事で圧巻の景色です。
一部、農道から梅林の中へ入れる所もあり、梅のトンネルといった雰囲気で初めての経験でした。
雲一つない青空の下、広大な梅林の向こうに富士山が見えて、曽我梅林が「かながわの景勝50選」に選ばれているのも納得です。
次の動画は短いですが、曾我梅林の梅祭りの様子です。
次の写真は梅祭り会場近所にある個人宅の大枝垂れの梅です。
梅祭りのマップに見所スポットとして載っていたので訪れてみましたが、そのゴージャスな姿に感激しました。
梅祭りの会場を40分くらい歩いて散策し、帰路につきましたが、早春を楽しむのに最高の観光スポットでした。
「小田原梅祭り」は2月29日まで開催されており、まだ行ったことの無い人にはお勧めします。
祭りのメイン会場は次の二ヵ所です。
(参考: 小田原市 Webページhttps://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/event/FEB/umematuri_52.html )
霊峰富士を望み約35,000本の梅が咲き誇ります。
梅にちなんだ料理を楽しみ、苗木や加工品を購入できます。
また、特産品の販売や食堂が開かれます。
2月4日(日)、11日(日)、23日(金・祭)、25日(日)には梅花ステージで寿獅子舞が開催され、2月11日には武田流の流鏑馬も奉仕されます。
天守閣や銅門、常盤木橋を背景に約250本の梅が咲きます。
また、立春青空句会が行われます。