もしあなたが買おうとしている自転車の「AI」が、実は1990年代のファジィ炊飯器と同じ技術だったとしたらどうでしょうか?
意外なことに、1990年代に大ヒットした『ファジィ炊飯器』と発想がかなり近い製品もあるのです。
最近、自転車の世界に「AI」という言葉がよく登場するようになりました。
たとえば、
- BESV: 2025年発表の新モデルPSF2に「乗り手の走り方を学習するAIアシスト」を搭載
- Honda: 後付け電動アシストシステム「SmaChari」に「AIモード」を実装
- シマノ: 自動変速「Q’AUTO」に「AI学習機能」を搭載
※:「SmaChari」や「Q’AUTO」の概要や価格については、次の記事をご覧ください
●『ホンダ スマチャリは買い?後悔しないための注意点と向き不向き診断』
●『シマノの自動変速「Q’AUTO」って便利なの? 一般ユーザー目線で徹底解説!』
しかし、ふと疑問が浮かびます。
ChatGPTや画像生成AIが話題になる現代、「AI」と聞けば機械学習やディープラーニングをイメージするのではないでしょうか?
大量のデータを学習し、経験を積むほど賢くなる、あの技術です。
それが本当に、自転車の小さなパーツに入っているのでしょうか?
この記事では、現在の自転車に搭載されている「AI」は実際、どんなものかを見てみます。
その上で、機械学習のような本当の意味でのAIが自転車に活かされる日が来るとしたら、どんな可能性があるのかを考え、ちょっとワクワクしてみたいと思います。
なお、結論を先に知りたい方のためにお知らせすると、次のようになります。
そもそもAIとは?自転車の「AI搭載」を理解するための基礎知識
「AI搭載」と聞くと、多くの人はChatGPTのような最新のAIを思い浮かべるかもしれません。
しかし実は、「AI」という言葉は何十年も前から、さまざまな製品に使われてきた歴史があります。
1980年代:人間のルールを実行する「エキスパートシステム」
AIという言葉が最初に注目を集めたのは1980年代です。当時のAIの主役は「エキスパートシステム」と呼ばれるものでした。
これは、専門家の知識を「もし〇〇なら、△△する」というルールの集まりとしてコンピュータに書き込み、専門家の判断を自動化しようとする技術です。
医療診断や工場の品質管理などに使われ、当時は大いに注目されました。
機械がデータから自動的に学習するのではなく、あくまで人間が書いたルールを実行するだけです。
それでも当時は「人間の専門家の知識を大量に入力すれば、人間並みの知能が実現できる」と期待され、「AI」と呼ばれていました。
1990年代:懐かしの「ファジィ家電」ブームとAI
1990年代に入ると、「ファジィ制御」を使った家電製品が「AI家電」として大ブームになりました。
ファジィ洗濯機やファジィ炊飯器、ファジィエアコン、ファジィ電子レンジなど、家電売り場はAIであふれていました―― 私のような歳になると懐かしさがこみあげてきます。
ファジィ制御とは、「やや強め」「少し弱め」といった曖昧な判断を数値で扱う技術です。
「洗濯物が多めで、水が硬めなら、洗い時間をこのくらいに」という具合に、人間の感覚的な判断をルールとして組み込んだものです。
エキスパートシステムと本質的には同じく、人間が設計したルールの実行です。
しかし、当時のAI研究では、「人間の知的な判断をコンピュータで実現する」ことが大きな目標でした。
ファジィ理論も、人間の曖昧な判断やベテランの勘や経験をコンピュータで再現する技術として注目され、AIと呼ばれていました。
2010年代以降:ChatGPTに代表される「機械学習・深層学習」
状況が大きく変わったのは2010年代です。大量のデータとコンピュータの性能向上を背景に、機械学習、特にディープラーニングが急速に進化しました。
画像認識、音声認識、自然言語処理など、あらゆる分野でそれまでの技術を圧倒する成果が出始めました。
今では、一般に普及しだしたChatGPTの登場で、その存在は一般にも広く知られるようになりました。
この世代のAIは、人間がルールを書くのではなく、大量のデータから機械が自動的にパターンを学習します。
エキスパートシステムやファジィ制御とは、根本的に異なるアプローチです。
時代で変わるAIの定義:言葉のインフレは今に始まったことではない
こうして振り返ると、AIという言葉は時代ごとに中身が変わりながら使われ続けてきたことがわかりますね。
| 時代 | 呼ばれたもの | 行っていること |
| 1980年代 | エキスパートシステム | 人間が書いたルールの実行 |
| 1990年代 | ファジィ家電 | 曖昧さを扱うルールの実行 |
| 2010年代〜 | 機械学習・深層学習 | データから機械が自動学習 |
「AIだから機械学習のはずだ」という思い込みは、実は最近できたものです。
AIという言葉のインフレは、今に始まった話ではありません。
このことを頭に置いたうえで、現在の自転車の「AI」が何をしているのかを見ていきましょう。
【比較】ホンダ・BESV・シマノのAI機能、その中身は何が違う?
さきほど見ましたように、「AI」という言葉は時代によって中身が変わってきました。
現在の自転車の「AI」が実際に何をしているのかを理解するには、まず、どんな情報をもとに動いているかを知る必要があります。
自転車のセンサーが検知する4つの基本情報
自転車のシステムが読み取っているセンサー情報は、主に次のようなものです。
- 踏力(トルク):ペダルをどれくらいの力で踏んでいるか
- ケイデンス:ペダルを1分間に何回転させているか
- 車速:自転車がどのくらいの速度で走っているか
- バッテリー残量(電動アシスト自転車の場合):残りの電力はどのくらいか
自転車によっては傾斜センサーや加速度センサーを加えているものもありますが、基本的な入力情報はこれだけです。
AI以前の技術?「ルールベース制御」でも快適に走れる理由
入力情報が少ないということは、制御の設計もシンプルにできるということでもあります。
たとえば、次のようなルールを組み合わせるだけで、かなり自然なアシストが実現できます。
- 踏力が強く、ケイデンスが低い → 発進や急坂と判断してアシストを強める
- 速度が上がってきた → 巡航状態と判断してアシストを弱める
- 踏力がほぼゼロ → 停止か惰性走行と判断してアシストをカット
これは「ルールベース制御」と呼ばれる、AI登場以前からある技術です。
人間が経験と知識をもとにルールを書き、コンピュータがそれを忠実に実行します。
Honda(ホンダ)「SmaChari」:徹底的なテストから生まれた論理式
Hondaの公式ページには、AIモードの開発について興味深い記述があります。
(参照:HONDA 『自転車をもっと自由に安心に、より多くの人に移動の喜びを拡げる「SmaChari」』)
「開発スタッフが自ら2000kmにもおよぶテスト走行で磨き上げ、数十人に試乗してもらい仕上げた」とあります。
また制御の仕組みについては、「自転車が遭遇しうる全ての状況を洗い出し、各状況でアシストをすべきか否かを判定し、それらを総合して的確なアシスト許可判断が出来るシンプルな論理式を作り上げた」と説明されています。
これを読んで、その率直な言い方に感心し、好感を持ちました。
「シンプルな論理式」というのがポイントで、まさにルールベース制御であり、機械が自動的にデータから学習したものではありません。
開発者が丁寧に設計したルールを、コンピュータが高速に実行しているということです。
BESV「PSF2」:走行データを蓄積する個人最適化の機械学習
BESVのPSF2には「ラーニング機能付きスマートモード」が搭載されており、その仕組みはかなり具体的に説明されています。
(参照:セオサイクル 『BESV PSF2に関する商品情報』)
ペダルトルク・ペダル回転数・スピード・斜度など、乗り方によって変化するライダーの走行傾向を学習・分析し、ライダーごとに異なる「自分だけのアシスト出力」に進化していくという設計です。
乗り込むほど自分好みのアシストに近づいていく、個人最適化を行う学習機能と考えられます。
実用上の制約として、15分以上の走行が学習の対象になるため、短い用途では学習が蓄積されにくいという点も正直に示されています。
また、異常値への対応も興味深いです。
普段は平坦な街乗りをしているライダーが休日に峠を走った場合、AIは「いつもと違う」と判断します。
しかしその後街乗りに戻ると「あれはたまたまだった」と再学習し、平坦路向けのアシストに自動修正されるという設計になっています。
これは過学習を防ぐための工夫として面白い作りです。
シマノ「Q’AUTO」:ライダーの変速操作を教師データにするAI
シマノのQ’AUTOは、3社の中でもっとも技術的な詳細が公開されており、開発者自身が率直に語っています。
(参照:シマノ 『PROJECT STORY 01』)
基本的な仕組みはSmaChariと同様で、スピード・ケイデンス・斜度などのセンサー情報をもとにルールベースで変速タイミングを判断します。
しかしQ’AUTOにはその上に、小規模ながら本物の機械学習が搭載されています。
仕組みはユニークです。
ライダーが手動で変速スイッチを操作したとき、システムが「自分もそのタイミングで変速しようとしていたか」を照合します。
予測と一致した場合にのみ内部のパラメータを更新する、いわば「人間の操作を教師データにする機械学習」です。
ランダムな操作では学習しないため、乗り込むほどそのライダーの好みに寄り添っていきます。
開発者自身も「ChatGPTのようなLLM※と比べれば極めて小規模だが、マイコンの計算能力やメモリ制約の中で実現している点は組み込み開発ならではだ」と語っています。正直かつ誠実な説明です。
(筆者注 ※: LLMとは Large Language Model(大規模言語モデル) の略です。簡単に言うと、大量の文章を学習し、人間のような文章を理解したり生成したりできるAIのこと。)
一覧表で見る3社の違い:ルールベースか機械学習か
ここまで3社の「AI」を見てきましたが、整理すると次のようになります。
| 製品 | AIの実態 | 機械学習? |
| Honda SmaChari | 人間が設計したルールベース制御 | なし |
| BESV PSF2 | 走行データを継続蓄積して個人最適化 | あり(小規模) |
| Shimano Q’AUTO | ルールベース+変速操作を教師データにした機械学習 | あり(小規模) |
同じ「AI搭載」という言葉を使っていても、中身は製品によってかなり異なることがわかります。
SmaChariが「人間が丁寧に設計したルールの実行」であるのに対し、BESVとQ’AUTOは方向性こそ違いますが、どちらも「乗り込むほど自分に合ってくる」という本物の学習を目指しています。
安全性重視なら「ルールベース制御」はむしろ正解かも
ここで大切なのは、ルールベース制御を「AIではない」と切り捨てることではありません。
電動アシスト自転車のアシスト制御は、入力情報がシンプルで、求められる判断の種類もそれほど多くありません。
そのような用途では、SmaChariのルールベース制御はむしろ合理的な選択かもしれません。
「動作が予測しやすく、なぜその判断をしたかを明確に説明できる」―― これは安全に関わる製品にとって、非常に重要な特性です。
「AI」という言葉の有無よりも、乗り手が快適に、安全に走れるかどうかのほうが本質的に重要です。
この意味では、3社それぞれが自社の設計思想のもとで真剣に開発に取り組んだ製品と言えるでしょう。
では、機械学習のような本格的なAIが、将来さらに活躍できる領域は自転車にあるのでしょうか?
次で考えてみます。
もし本格AIが搭載されたら?自転車の未来予想
さきほど、現在の自転車に搭載されている「AI」の多くが、ルールベース制御、または小規模な機械学習を搭載した製品であることを見ました。
ここからは未来予測で遊んでみましょう。
本格的な機械学習が自転車に活かされるとしたら、どんな可能性があるのでしょうか?
「どうなるんだろう?」「予想はあたるのか?」と考えるだけで、好奇心が刺激され、ボケ防止にも良さそうです(笑)。
現在の制御では難しく、機械学習が得意とする領域を考えてみましょう。
機械学習が得意なのは「複合的で個人差が大きい問題」
シンプルなルールで「万人向けの正解」は出せても、「あなただけの正解」を出すことは難しい―― そこに機械学習の本領があります。
自転車は、毎日同じ人が乗り続けるという点で、個人データを蓄積しやすい乗り物です。
スマートフォンが使い込むほど自分に最適化されていくように、自転車もそうなる素地は十分にあります。
この特徴を念頭に、機械学習の応用アイデアを列挙してみます。
【予測1】ペダリングの揺らぎから疲労や体調をリアルタイム推定
最もわかりやすい応用例は、ライダーの疲労や体調をリアルタイムで推定することでしょう。
疲労は、ペダリングの左右差、ケイデンス(1分当たりにペダルを回す回数)の微妙な揺らぎ、踏力の変動パターンなど、複数の要素が複雑に絡み合ったシグナルとして現れます。
経験豊富なサイクリングコーチが「今日は少し疲れているね」と感じ取るような判断は、シンプルなif-thenルールでは捉えることができません。
しかし機械学習であれば、こうした複合的なパターンを大量のデータから学習し、「この走り方のパターンは疲労のサインだ」と判断することができます。
将来的には、ライダーが意識しないうちにアシストが少し強まり、「猛暑の中、いつもへとへとになる坂で、今日はなぜかすっと登れた!自転車が疲れを感じ取っていたのかもしれない。」という体験が実現するかもしれませんね。
【予測2】中高年も安心!熱中症やハンガーノックの危険を事前警告
長距離サイクリングで恐ろしいのが、突然エネルギーが枯渇するハンガーノックや、夏場の熱中症です。
どちらも「気づいたときには手遅れ」になりやすいので、怖いですね。
気温・湿度・心拍数・走行距離・ペダリングの変化などを組み合わせることで、危険な状態に近づいていることを事前に察知し、警告を出したり自動的にアシストを強めて負荷を下げたりする機能が考えられます。
水分や栄養素の摂取の量やタイミングについて文字や音声で教えてくれれば、専属のスポーツ栄養士やトレーナーがいるようなもので、プロのトップアスリートのようなサポートが得られ、王様気分になれます(笑)。
これは単純なルールでも一部は実現できますが、個人差が非常に大きい領域です。
体力・体重・気温への慣れ方・その日の体調など、組み合わせは無数にあります。
機械学習が個人ごとのパターンを学習することで、より精度の高い予測が可能になります。
【予測3】乗り手の通勤と休日の違いなど、より深い理解でアシスト?
BESVやQ’AUTOがすでに目指している方向ですが、将来はさらに深い個人最適化が考えられます。
現在の学習機能は、主にアシスト出力の強弱や変速タイミングの好みを覚えるものです。
しかし将来的には、「この人は朝の通勤時は省エネ走行を好むが、休日のサイクリングでは強めのアシストを求める」「この坂は苦手で、いつもここで踏力が落ちる」といった、時間帯・ルート・気分まで含めた、より深い理解に基づいたアシストへと進化する可能性があります。
使えば使うほど自分専用に育っていく自転車、というイメージです。
経験豊富な馬は、初心者や体調の悪い騎手が乗ると自発的に歩幅を小さくしたり、急な動きを減らしたりすることがあるそうですが、自転車もそうなるかもしれませんね。
これが可能になると、機械ではあっても、愛着が深まりそうです(笑)。
【予測4】強化学習で「目的地までバッテリーを持たせる」最適配分?
電動アシスト自転車で「バッテリーが途中で切れた」という経験をした人は少なくないでしょう。
GPSと地図の高度データを組み合わせれば、「この先5kmに急坂が2箇所ある」ことを事前に把握できます。
そこに機械学習を加えることで、「このライダーはこの坂でどのくらいのアシストを使う傾向があるか」まで予測し、ゴールまでバッテリーを最適に使い切る配分が可能になります。
また、事前にルートを教えれば、バッテリーが持つのかどうか、より正確に教えてくれることもできます。
電気自動車のエネルギーマネジメントシステムに近い発想で、強化学習(試行錯誤を通じて「最適な行動の仕方」を学習するAIの手法)という手法が特に有効な問題です。
目標(バッテリーを無駄なく使い切る)に向けて、試行錯誤を繰り返しながら最適な戦略を自動的に学習します。
【予測5】ふらつきを検知する「ドライバー異常検知システム」の実現
加速度センサーやカメラと機械学習を組み合わせることで、危険な走行パターンを検知する機能も考えられます。
「急ブレーキが多い交差点」「いつもふらつく路面状況」などをデータとして蓄積し、次回通過時に事前に警告を出す。
あるいは、ライダーの反応が鈍くなっているサインを検知して、徐行モードに切り替えるといった応用です。
これは自動車の「ドライバー異常検知システム」やスマートフォンの「ながら歩き検知」の自転車版と言えます。
はい、以上ですが、ここで挙げたようなアイデアが現実になる日は来るのでしょうか。
未来は完全には読めませんが、完全にランダムでもありません。
あなたはどう思いますか?
【コラム】国内2大巨頭「ヤマハ・パナソニック」がAIを謳わない理由は?
日本市場で大きなシェアを持つヤマハとパナソニックは、現時点では「AI」という言葉を前面に押し出していません。
彼らが使っているインテリジェントな制御技術も、広い意味(90年代的なファジィ・ルールベース)ではAI的と言えますが、AIを敢えてアピールせず、制御技術の熟成に注力しているように見えます。
長年培ってきた技術への自信と、日本の厳しい道交法の制約※の中で最善の乗り心地を実現してきた実績があるからかもしれません。
(※:時速10kmまでは人力に対して最大2倍、時速24kmでアシストゼロ)
けれども、機械学習を使った差別化の可能性は、道交法の範囲内でも十分にあります。
この2社が今後どう動くか、注目していきたいと思います。
夢の技術なのに…本格AIが自転車に搭載されない4つの壁
さきほど、機械学習を自転車に活かすアイデアをいくつか挙げました。
どれも夢がありますが、現実には本格的な機械学習を搭載した自転車は、まだほとんど存在しません。
なぜでしょうか。
技術的に不可能というよりも、次の4つの理由が重なっているからだと思います。
壁①:乗り込むまで「学習中」が続くデータ不足問題
機械学習を使って、「あなただけのアシスト」を実現するには、ライダーの走行データが大量に必要です。
けれども、毎日通勤で乗る人でも、十分なデータが蓄積されるまでには相当な時間がかかります。
週末だけ乗るサイクリストであれば、何年もかかる可能性があります。
その間、機械学習モデルはルールベース制御より性能が劣ってしまうことになりかねません。
「乗り込むほど賢くなる」は魅力的なキャッチコピーですが、最初の数ヶ月は「まだ学習中」という状態が続くわけです。
こんなに待たないと、十分な機能を発揮できないのでは、「商品としてどうなの?」となってしまいますね。
壁②:自転車の小さなチップでは処理できない「学習場所」の制約
機械学習には「推論」と「学習」という2つのプロセスがあります。
推論とは、学習済みのモデルを使って判断を下すことです。
これは比較的軽い処理で、近年のEdge AIチップであれば自転車の小さなコンピュータでも十分に動作します。
学習とは、データをもとにモデルを更新することで、こちらははるかに重い処理です。
自転車のチップ上でリアルタイムに行うことは、現時点では現実的ではありません。
そのため、現実的な構成は次のようになります。
- 自転車のセンサーでデータを収集
↓ - スマホ経由でクラウドに送信
↓ - クラウドで学習・モデルを更新
↓ - 更新したモデルをスマホの無線通信を利用して送り、自転車のソフトウェアを更新
この仕組み自体は技術的に実現可能です。
けれども、常時スマホとの接続が必要になり、通信環境のない場所では機能しません。
またプライバシーの観点から、走行データをクラウドに送ることを嫌うユーザーもいるでしょう。
壁③:価格上昇に見合う?「少し楽になる」の費用対効果
実際には、これが一番、高い壁かもしれません。
現在のルールベース制御は、すでにかなり快適な乗り味を実現しています。
機械学習を導入したとして、ユーザーが「これはすごい!」と体感できるかどうかは別の話です。
自動車の自動運転であれば、機械学習の導入によって「人間の手が不要になる」という劇的な変化があります。
しかし自転車のアシスト制御は、あくまで「少し楽になる」「少し自分好みになる」という話です。
その差のために、開発にコストをかけ、製品価格を上げることがビジネスとして成立するかどうか、メーカーにとっては悩ましいでしょう。
壁④:万が一の事故時、誰が責任を取るのか?「ブラックボックス問題」
これが大きな課題です。
ルールベース制御であれば、「坂道に入ったのでアシストを強くした」と明確に説明できます。
けれども機械学習のモデルは、なぜその判断をしたのかを言葉で説明することが難しい、いわゆる「ブラックボックス問題」を抱えています。
これは自動車の自動運転でも大きな議論になっている問題です。
事故が起きたとき、「AIがそう判断したから」というのでは誰も納得しません。
また、責任の所在の明確化が必要ですが、メーカーなのか、AIなのか、ユーザーなのか、などと判断が難しくなります。
自転車も公道を走る乗り物です。
アシストの強化や停止など、安全に直結する判断をAIが行う以上、「なぜそうしたのか」を説明できることはメーカーにとって非常に重要です。
ブラックボックス問題は、XAI(Explainable AI:説明可能なAI)という技術研究が進められていますが、法的・倫理的に十分な解答が得られるまでには、まだ相当な時間がかかるとみておくべきでしょう。
これら、4つの壁を越えたとき、初めて本格的な機械学習が自転車に搭載されるのでしょう。
では、その壁を越える日はいつ来るのか、最後に考えてみましょう。
【10年後】エッジAIの進化が「乗るほど賢くなる自転車」を実現する
先ほど4つの壁を挙げましたが、技術は進化し続けますから、永遠に越えられない壁ではありません。
今後10年で、自転車のAIはどう変わっていくのか、予想してみたいと思います。
【数年以内】スマホ・クラウド連携による「集合知」の活用
まず数年以内に現実的なのは、スマホとクラウドをフル活用した、さきほど紹介した構成です。
この仕組みはすでに技術的に実現可能であり、一部のメーカーはすでにこの方向に動き始めています。
この段階では、個人の走行データだけでなく、多数のユーザーの集合データから「この坂では多くの人がアシストを強める」「この気温ではバッテリー消費が増える」といったパターンを学習できます。
個人単独では集めにくいデータも、集合知として活用できるわけです。
【5〜10年後】スマホ不要でオンデバイス学習ができる「エッジAI」
5〜10年のスパンで見ると、より大きな変化が起きる可能性があります。
鍵を握るのはEdge AIチップの進化です。
Edge AIというのは、クラウドに頼らず、デバイス上で直接AIの推論や学習を行う技術です。
身近なところでは、スマートフォンやイヤホンにもすでにEdge AIが搭載されており、年々小型化・低消費電力化が進んでいます
たとえば、Samsungは「オンデバイス AI」を重要な技術として位置付けていて、Galaxy S25のAIは、「AI要約」「リアルタイム翻訳」「音声文字起こし」「写真編集(不要物除去など)」など、多くの機能を端末内で実行します。
このトレンドが続けば、5〜10年以内にスマホなしで、自転車のオンデバイス学習が現実的になる可能性があります。
そうなれば、通信環境がなくても、乗るたびに自転車が自分のデータを蓄積・学習し、本当の意味で「乗るほど賢くなる自転車」が実現します。
【10年以上先】高齢化社会を支える「動く健康管理デバイス」へ
更に視野を広げると、自転車の進化の方向は、単なる「乗り心地の向上」にとどまらないかもしれません。
毎日の走行データは、その人の体力・疲労・健康状態を映す鏡です。心拍数・ペダリングパターン・走行距離の変化を長期間蓄積すれば、体調の変化や体力の衰えを早期に察知できる可能性があります。
「最近、いつもの坂でペダルが重くなっている」「心拍の回復が遅くなっている」といった変化を自転車が検知し、「少し休養を取りませんか」と提案する。
あるいはかかりつけ医のアプリと連携して、健康データとして活用される未来も、絵空事ではないでしょう。
特に高齢化が進む日本では、電動アシスト自転車はすでに多くのシニア層に愛用されています。
自転車が健康運動と健康管理を兼ねたデバイスとして、医療分野との連携も視野に入ってくるかもしれません。
まとめ:自転車の「AI搭載」に惑わされない選び方
この記事では、自転車の「AI」とは実際に何なのかを、3社の製品を手がかりに見てきました。
最後にポイントを整理してみたいと思います。
ポイント1:現在の「AI」は製品によって中身が大きく違う
HondaのSmaChariは、開発者が2000kmのテスト走行で磨き上げたルールベース制御です。
機械学習ではありませんが、だからといって手抜きではありません。
自転車という用途に合った、合理的な設計です。
BESVのPSF2とシマノのQ’AUTOは、方向性は異なりますが、どちらも本物の機械学習を小規模ながら実装しています。
乗り込むほど自分に合ってくる、という体験を本気で目指した製品です。
同じ「AI搭載」といっても異なる技術がある―― それを知っているだけで、製品選びの目が変わりますね。
ポイント2:「なんちゃってAI」と切り捨てるのは早計
今回調べてみて改めて感じたのは、「これってAIなの?」という質問自体が、あまり意味がないということです。
先に紹介しましたように、AIという言葉は1980年代のエキスパートシステムから、90年代のファジィ家電、そして現在の機械学習まで、時代ごとに中身を変えながら使われてきました。
「本物のAIは何か」という明確な境界線がありません。
大切なのは、その技術が「何のために使われているか?」「乗り手にどんなメリットがあるのか?」という問いではないでしょうか。
ポイント3:本格的な機械学習の普及には、まだ壁がある
一方で、現在のBESVやQ’AUTOの機械学習は、ChatGPTのような本格的なAIとはまだ大きな隔たりがあります。
学習データの不足、クラウド依存の問題、費用対効果、そしてブラックボックス問題。
これら4つの壁が解決されるまでには、まだ何年もかかるでしょう。
けれどもAIの進化は目覚ましいので、5〜10年の視野で見れば、より進化した「乗るたびに賢くなる自転車」が登場する可能性は十分にあります。
それでも、自転車はやっぱり楽しい
AIがどう進化しようとも、自転車の楽しさの本質は変わりません。
「気づいたら楽になっていた」「いつもより遠くまで来られた」「今日も無事に帰れた」―― その喜びを、そっと後押しする相棒、それが自転車の理想だと思います。
私はもう高齢者ですが、まだ元気に自転車に乗れている内に、次の進化を体験したいと願っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。































●HondaのAIは主にルールベース制御
● BESVとQ’AUTOは小規模ながら学習機能を搭載
● 現在のAI搭載自転車はChatGPTのような本格AIとはまだ大きく異なる
● より進化した「乗るたびに賢くなる自転車」が登場する可能性は十分にある